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第2自然科学院は、1964年6月24日に創立された。創立当時の公式名称は、「国防科学院」であり、同機関の所属は、民族保衛省であった。創立動機は、次の通りである。
朝鮮戦争の実戦中において、主体的で自立的な兵器工業建設を具象した金日成は、1952年12月、北朝鮮最初の国防科学研究機関である「精密研究所」を立てたのに引き続き、戦後、「17号研究所」(火薬研究所)等、各軍種、兵科研究所を続々と組織した。そして、この研究所に秀才級の数多くの外国留学生を集中配置した。
金日成がその時期に万事を差し置いて、このような措置を取ったのは、朝鮮戦争の経験と教訓のためであった。金日成は、朝鮮戦争を旧ソ連製武装装備を持って戦った。当時、北には、防毒面、鉄帽、小銃1つ自分のものではなかった。ソ連製武装装備は、朝鮮人の体質上取り扱いが余りに難しかった。小銃を担えば、その端が地に引きずる軍人が大部分であった。防毒面も、鉄帽も、全てが朝鮮人の身体上の特性に全く合っていなかった。さらに、ソ連は、北朝鮮の軍需工業を徹底して隷属化するために、軍需品を自主生産できる技術伝授を厳格に統制した。全ての軍需工場には、ソ連技術顧問団が常駐しており、技術も、原資材も、ソ連のものでなければならないというやり方の信憑性を造成しつつ、北朝鮮の軍需工場をソ連から部品を持ってきて、組み立てるという徹底的にソ連に依存したものとなるように画策した。このような関係により、当時の軍需部門には、ソ連の武装装備、国防技術、軍需産業に対する事大依存主義が北朝鮮のそのどの部門よりも甚だしかった。
金日成は、このような事態を直ちになくさなければ、将来、戦争が再び起こった場合、朝鮮戦争時、ソ連の武装装備支援の全面中断により経験した危機を繰り返し得ることを痛感した。事実、金日成は、戦争に対して語る毎に、「6.25戦争時期、歩銃10万挺がなく、洛東江まで進撃し、後退したが、ソ連がそれを与える約束さえ守ったなら、その時、祖国を統一したであろう」と悔しい心情を打ち明けたことがあった。
そして、金日成は、朝鮮戦争末期と戦後直後に、武装装備だけはどんなことがあっても自立しようとしたが、意図通りに兵器科学研究において当然の成果を上げることができなかった。原因は、兵器研究所を統一的に、計画的に指導できる専門指導機関がなかったためであった。
このような実情を把握した金日成は、1964年6月24日、科学研究指導機関である「国防科学院」を立てるようにし、民族保衛省兵器局の各部署に散発的に配属されていた研究所をここに統合させたのである。
この時創立された国防科学院は、1970年代初めまで軍に所属していたが、その後、第2経済委員会が組織され、その参加に所属が変更された。それにより、名称も秘密保障という名目の下に「第2自然科学院」と改称され、関連一群と科学者全員が着ていた軍服を捨てさせた。併せて、金正日の「精粋分子隊列」方針に従い、国防科学者隊列を厳格に再整備した。
聞こえてくる話しによれば、その時、科学院内において中国間諜、ソ連間諜を多く捕まえたが、その大部分が科学院次元でも最も才能ある中堅科学者達であったという。そのような関係で、この時期は、「第2自然科学院」の沈滞期と言っても過言ではない位に、研究事業において、全く成果がなかった。
その後、第2自然科学院は、金正日の「先頭馬車」指示により、完全に独立し、第2経済委員会と同格として党中央機械事業部(後に、軍需工業部に改称)に直属された。金正日は、その時、第2経済委員会の組織機構を把握し、第2自然科学院がその傘下にあるのを見て、「国防科学研究事業を先行させてこそ、軍需建設を良くすることができる。国防科学院を先頭馬車に立てなければならない」と指示を行ったのである。
北朝鮮の第2自然科学院の全盛期は、1980年代である。この時期に、第2自然科学院は、ミサイルを開発し、砲武器を自走自動化し、飛行機開発も指導し、特に各種弾類開発において大きな成果を上げた。また、この時期に、金正日が第2自然科学院を1984年10月25日、1987年4月11日、1989年10月17日の3回も現地指導を行った。
今日、第2自然科学院は、第2経済委員会と共に、北朝鮮の「強盛大国」の物質技術的大黒柱を成している。
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1984年10月25日、金日成は、初めて第2自然科学院を現地指導した。そのとき、彼は、第2自然科学院が創立後20年間に改良・開発し、展示しておいた全ての武装装備の試製品を一々手に取って見せ、同行した一群と中堅科学者を囲んで座らせて、簡単な談話を行ったが、これが後に、「国防科学をさらに発展させることに対して」という極秘文献として発表されたことがある。ここで、金正日は、第2自然科学院の任務に対して、次のように明らかにした。
「国防科学院の基本任務は、ウリ式、朝鮮労働党式の武器を研究開発することである。ウリ式武器とは、我が国の地形条件と我が軍人の体質、主体戦法の要求に合わせた武装装備をいう。」
その意味を分析すれば、我が国の地形条件とは、山岳が多く、河川が多いことを話しており、我が軍人の体質とは、身体上背が低いことを念頭に置いたものであり、主体戦法とは、遊撃戦を話しているものである。
金正日は、このようなところから出発し、第2自然科学院は、今後も、人民軍の武装装備の小型化、軽量化を実現するため、積極的に努力しなければならないと語った。金正日はまた、現代戦の特性に対しても、自分なりに分析し、「現代戦は、電子戦、輪転機材(機動戦闘装備)戦」、現代戦争は、「粒(弾薬、砲弾)戦争、発動機戦争」と語ったことが、その内容である。
金正日は、武器開発において守らなければならない原則も明らかにしたが、それは、主体の原則、即ち、「我々の科学技術で、我が国の原料資材で、我々の軍需工業に依拠した武装装備を開発」することである。
金正日は、各軍種、兵科分野の研究課題も提示した。即ち、1)全ての砲武器を装甲化、2)自走自動化し、3)電子戦に備えて電波場及び反場に対策を立て、4)ウリ式ロケットを開発し、5)チタン開発に着手し、そして6)殺傷力と破壊力が強い各種弾を開発することが、その重要内容を成す。
金正日のこの文献は、北朝鮮の国防科学研究部門の恒久的な綱領とされている。金正日は、1984年10月の現地指導を契機に第2自然科学院を自己の政治外交政策を補佐する自分個人のものに完全に作り上げてしまった。
今日、金正日は、第2自然科学院の国防科学者達に、党と「ウリ式社会主義」を守護する道において、銃、爆弾でもなく、ロケットとなるように強要している。このため、金正日は、「国防科学者である前に、真の金日成主義者とならなければならず、党の思想で武装されない国防科学者は、必要ない」と、科学者達に強要している。では、現在、第2自然科学院の当面の研究課題は、何だろうか?
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最終更新日:2003/10/04
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